受賞者紹介

類のない特殊紡績糸・ニット製品開発による世界ブランド化とラグジュアリーブランドへの参入

山形県寒河江(さがえ)市
佐藤繊維(株)
その他受賞メンバー
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推 薦 者
山形県
顔写真

佐藤正樹  (43)
代表取締役社長

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00年、4代目社長に就任した佐藤氏は、同時期より特殊形状糸の研究開発に着手。アンゴラヤギの毛を原料とするモヘア糸を、それまで限界とされていた細さの半分程度、わずか1gの原料から52mの糸を紡ぎ出すことに成功。摩擦が小さいため、モヘア100%のニット糸の加工には高度な技術が求められるが、古い紡績機を駆使し、素材本来が持つ柔らかさそのままに繊細な風合いを実現した。この極細モヘア糸は、オバマ大統領の就任式でミシェル夫人が着用したニナ・リッチのカーディガンに採用され、話題を呼んだ。同社は紡績だけでなくニット製造、アパレル部門も擁し、糸の開発から製品製造まで全工程を自社で担う。イタリアで開催される世界最大規模のニット素材展示会「ピッティ・フィラーティ」にも連続出展、欧米一流ブランドへの参入も果たす。

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まんが

――ミシェル・オバマ米大統領夫人が着用したカーディガンに、佐藤繊維の糸が使用されたとか。

 うちは80年近く紡績糸をつくってきましたが、創業以来変わらないのは原材料に対するこだわりです。夫人のカーディガンの原料はモヘア糸。南アフリカなどのアンゴラヤギから微量しか取れない貴重な材料ですが、滑りやすいので細く長く紡ぐのが非常に難しい。従来、業界では1gの原料から27mつくるのが限界とされてきたのを、我々は52mの極細モヘアを紡ぐことに成功しました。実はこれ、コンピュータ制御の量産機ではできない。繊細な糸は、昔ながらの古い織機を改造・改良することで加工できるのです。

――そのような特殊糸の開発に取り組まれたきっかけは?

 98年にトライスピン(紡撚機)試験機を導入し、研究開発に取り組み始めました。転機は、イタリアの「ピッティ・フィラーティ」という世界的な糸の展示会に出向いた際、現地の養蚕農家や工場を視察したこと。農家の尋常じゃないこだわりに触れ、それまで見たこともない面白い糸をたくさん知った。もう衝撃の一言です。彼らは一様に「自分たちは、ここで世界のファッションのもとをつくっているんだ」と言う。誇りです。メーカーに言われるままに糸をつくってきた自分は、今まで何をしてきたんだろうとショックでした。工場内を見ればうちと同じ紡績機があって、独自のこだわりを実現するためにあらゆる改造をしている。ならば、うちだってできるわけですよ。この時、イタリアから学ぶべきは、糸やテクニックではなく、ものづくりに対する情熱だということを思い知らされました。

――ちょうど4代目として社長に就任されたタイミングですね。

 結婚して、地元・寒河江に戻ってきたのが92年。当時はまだ、繊維産業に華やかなイメージがあったのですが、以降、業績は落ちる一方。大手ブランドの下請けとして、1型で何万枚もニット製品をつくれるような大量生産をしていましたが、この取引先が製造を海外にシフトした。同業者数も激減し、産業自体の衰退が加速したつらい時代です。4代目の若造ですからリストラなんてできない。休みがちだった工場を稼働させるため、自分でデザイン画を起こし、「佐藤繊維」に発注していました。今ある編み機をどう改造し生かすか、ヨーロッパの真似ではない独自の糸づくりをどう実現するか。その模索と製品づくりの繰り返し。で、自分で売る。日本中の問屋さんに売り歩き、週末にはスーパー前にテントを張って露店売りも。3、4年ほどかけて、安定した品質の特殊糸や製品を出せるようになりましたが……”売る“ことが容易ではありませんでした。

――突破口になったのは?

 スーパーの前で売れなかった時に、大きな気づきがありました。”見せ方“です。最高の糸で仕立てたニットなのだから、わかる人にはわかる、ぐらいに思っていたのですが、売る場所や演出が悪ければダメなんです。MD(マーチャンダイジング)がいかに重要か。それも、自分たちの手によるMD。東京で開催される展示会への参加が決まった時、それを徹底的に意識しました。自分の感性に従ってつくった製品を70アイテムほど用意し、ブースも古材を使って棚から何から全部手づくり。これが評判になりました。交換した名刺はざっと400枚(笑)。そこから、今度はニューヨークで発表してみないかと声をかけていただき、ステージが大きく広がりました。世界中のデザイナーやバイヤーが集まる展示会でも高い評価を得て、グッチやニナ・リッチといったラグジュアリーブランドに参入するきっかけとなったのです。

――01年には、ニューヨークで自社ブランドも立ち上げています。

 「M.&KYOKO」というもので、妻がメインデザイナーです。どんなにこだわっても、自社ブランドを持たなければ、それは流通上アパレルのブランドとなって発表され、時には不本意なかたちで世に出ていく。それが耐えられなかった。でも面白いもので、「ニューヨークでしか手に入らないメイド・イン・ジャパン」ということで、価値を高めてくれたのは日本人デザイナーやバイヤーです。逆輸入ですね。大手のテレビ通販番組で、わずか1分間で100万円以上売れた事実を目の当たりにすると、改めてMDの重要性を痛感します。今までは問屋、百貨店、専門店しか販路がなかったけれど、トレンドに追随しないものづくり力、発信力があればチャンスはあります。

――繊維に限らず、多くの製造業に通じるテーマですね。

 僕は「進化」をキーワードにしています。ダーウィンの進化論じゃないですが、力や頭脳だけにたけた者より、環境に合わせて進化できる者が生き残るんじゃないかと。今の厳しさは、経済に進化をもたらすために時代が要求していることだと思うのです。これからは、職人がダイレクトに最終消費者と向き合う世界を開拓していくべきです。オンリーワンの技は、世界ブランドになれるのですから。

佐藤繊維(株)

http://www.satoseni.com/

設立
1954年3月(創業1932年)
資本金
5410万円
従業員数
120 名(2009年12月現在)
ワンポイント
創業約80年の老舗。紡績から製品製造まで独自のものづくりスタンスを貫き、山形から世界に向けて発信する

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極細モヘア糸に、和紙、ウール、ナイロンなどほかの原料を組み合わせ、色や光沢に変化を付ける。今までにない風合いや質感が楽しめるオリジナル糸は、150 種類を超える

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工場内では昭和の”紡績機“がたくさん活躍する。繊細な糸を細く伸ばして撚(よ)るのは高速処理の量産機では不可能で、速度は遅くても古い機械のほうが多彩な使い方ができる。中には50年を超えるものも

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南アフリカのモヘア、ペルーのアルパカ、モンゴルのカシミアなど、使用する原料は世界中から集めた希少な原毛ばかり

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撚りをかけて伸ばし、巻き上げ、また撚りをかけ……幾重もの工程を経て「糸」が紡がれていく

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個性豊かな素材をぜいたくに使ったニット製品。一般受けは狙わない。「市場は小さくていい。強烈なファンをつくっていきたい」