monodzukuri 第1回「ものづくり日本大賞」 HOMEEnglish
受賞者たちの熱きドキュメント
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世界の先端をつくるプロフェッショナルたち伝統を受け継ぎ進化するプロフェッショナルたち
三重県 アクオス 液晶 亀山
三重県亀山市
シャープ(株)
矢野耕三(57歳) 
三重亀山 生産本部長 三重県亀山市
シャープ(株)
矢野耕三(57歳) 
三重亀山 生産本部長
大型液晶パネルからテレビまでの
一貫生産を実現した亀山第1工場の建設稼働
大画面テレビの分野では、液晶とPDP(プラズマディスプレー)とが激しくしのぎを削っている。数年前まではPDP優勢が「常識」だったが、ここにきて液晶の技術革新が進み、急速にシェアを拡大している。その原動力になったのが、液晶テレビのトップメーカーである同社が建設した亀山工場だ。液晶パネルからテレビまでの、世界に例のない一貫生産を実現。37型テレビ用パネルなら6枚が取れる第6世代マザーガラス(1500o×1800o)を採用している。現在、隣接地に第2工場を建設中。06年10月より稼働予定のこの工場では、世界最大の第8世代マザーガラス(2160o×2400o)を採用する。
“すり合わせ”というデジタルに不似合いな言葉にこそ、最先端技術開発の秘密がある
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Company Profile
シャープ(株)
http://www.sharp.co.jp/
1912年創業。創業者早川徳次氏が、東京の下町、本所で金属加工業として独立開業したのがルーツ。15年には社名の由来である「シャープペンシル」を開発する。戦後、国産第1号のテレビを製造、総合家電メーカーへと成長を遂げる。64年に世界で初めて電卓を開発、73年にはその電卓の表示に液晶を採用し、現在のコア事業の礎を築く。亀山工場は02年に着工、04年に本格稼働した。
液晶は、液体と結晶(固体)の両方の特性を併せ持っている。これは液晶画面の拡大
液晶は、液体と結晶(固体)の両方の特性を併せ持っている。
これは液晶画面の拡大
大きなマザーガラスの表面に、テレビ用の液晶が何面も加工されていく
大きなマザーガラスの表面に、テレビ用の液晶が
何面も加工されていく
液晶一筋だからこそ驚いた大画面テレビの開発方針
“世界に誇る日本の技術・亀山モデル”。電器店に並ぶ同社の大画面液晶テレビの傍らには、さりげなくこんなプレートが鎮座している。ある量販店が自発的に掲示したのを同社の営業マンが見つけ、「これはいい」とロゴやカラー(青)を統一したのだという。「ついに工場名がブランドになった」と矢野さんは感慨深げに語る。
 液晶が世界で初めて実用化されたのは、73年。同社が電卓に採用したのが始まりだった。矢野さんはその前年の入社で、液晶電卓開発のプロジェクトにも参加。以来、この技術と共に歩んできた。
 そんな“液晶一筋の男”だからこそ、98年に就任した町田勝彦社長の発言には、驚愕した。「05年までに、シャープは国内販売するテレビをすべて液晶にする」。大画面テレビも液晶でつくるという、それは宣言だった。
「正直、戸惑いました。当時、液晶テレビは15型のサイズがやっと。30型が限界だろうと思っていましたから」
 しかし、と矢野さんは続ける。
「技術者は、得てして実証できる範囲で物事を考えようとするのです。その背中を、トップが押した。チャレンジしろと。目標を明確に定めてくれたわけですから、安心して開発に取り組めたのも事実です」
「記憶に残る仕事」を合言葉に巻き返しに一丸となる
 その戦略に添うかたちで、02年に矢野さんをリーダーとするプロジェクトが始動、同年、亀山工場が着工された。
 とはいえ、大画面液晶テレビの開発が平坦な道だったわけでは、決してない。たとえば、この工場では1・5m×1・8mの大きさのガラス板(マザーガラス)に、37型なら6枚分の液晶を、同時に加工する。板の厚さは、わずかに0・7o。普通に持てば大きくたわみ、破損の危険もある。各工程間、これをどうやって運ぶのか。
「装置メーカーに、まったく新しいコンセプトの運搬システムをお願いするしかなかった。社内だけでなく、製造装置や原材料メーカーなどにも、“本気”になってもらう必要があったのです」
 矢野さんが、折に触れてメンバーに語ったのが「記憶に残る仕事にしよう」という合言葉。生産を支えてくれる外部の企業にも、同じフレーズで協力を依頼したそうだ。
 新工場は、液晶パネルから製品までの一貫生産方式を採用した。「目指すのは、世界一のテレビ。だったら、いい部品を集めてくるのではなく、この場で最高のパーツをつくって組み立てようじゃないか」という発想からだ。加えて、矢野さんは「すり合わせ」という、最新鋭工場には不似合いにも聞こえる表現で、その効用を説明する。
「同じ工場の中に、液晶の専門家もいれば、半導体の担当、テレビ畑の人……いろいろな業種が集まりました。だから、上流・下流、現場と技術者が、それぞれの立場で侃々諤々言い合って、そしてつくり込んでいくことができた。性能を極限まで高められたのは、このすり合わせのおかげです」
 液晶で世界をリードした同社だが、韓国メーカーなどの追い上げで辛酸もなめた。だからこそ、絶対に巻き返すという気概が、チームにはみなぎっていた。トップダウンによる明確なゴールの設定と、現場のものづくりのスピリッツ。それがかみ合って、「世界に誇る技術」は誕生した。
 04年1月、当初予定を前倒しして、同工場からの大画面テレビの出荷が始まった。そしてそのすぐ隣では、世界市場を視野に入れた「第2工場」が稼働の時を待つ。80年代初頭、“ジャパン・アズ・ナンバーワ ン“と称された日本の製造業。自然に囲まれた工場からは、静かではあるが確かにその復活への鼓動が聞こえてくる。 
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その他の受賞メンバー(五十音順)
池林盛雄、市川正見、桶谷大亥、日下部徹男、高木己紀雄、中村恒夫、永田勝則、日比野吉高、村上武
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