monodzukuri 第1回「ものづくり日本大賞」 HOMEEnglish
受賞者たちの熱きドキュメント
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世界の先端をつくるプロフェッショナルたち伝統を受け継ぎ進化するプロフェッショナルたち
大阪府 エアハブ 空気入れ 自転車
堺市美原区
(株)中野鉄工所
中野隆次(61歳)
代表取締役社長 堺市美原区
(株)中野鉄工所
中野隆次(61歳)
代表取締役社長
タイヤへの空気入れがいっさい不要の
自転車用エアハブ
正式な名称は「自転車用タイヤ自動空気補充装置」。タイヤへの空気入れがいっさい不要という、驚きのハブ(車輪の中心軸)だ。ハブの中に回転式のエアポンプが内蔵されており、ペダルをこぐだけで、前後のエアバルブに、専用チューブを通して緩やかに空気が充てんされる。しかも、3.0 気圧という常に軽快なタイヤのベスト空気圧を維持する。空気入れの面倒な手間をなくしただけでなく、これによってタイヤを磨耗から守り、寿命を約20%延ばした。空気圧が原因となるパンク発生率を大幅に減少させ、その安全・快適さは広く注目されている。同社が開発したエアハブはすでに車椅子にも転用されているが、今後、様々な分野への活用が見込まれている。
生き残りをかけた戦い。
誰にもつくれない製品を開発するという執念が、“奇跡のハブ”を誕生させた
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Company Profile
(株)中野鉄工所
http://www.nakano-iw.co.jp/japanese.html
1948年創業。自転車用ハブ専門の製造・販売を行う。60年からは一部工作機械、内燃機械の生産も開始。75年、工場を現在の大阪府美原町に移転したのに伴い、ハブ製造のFA化を推進、無人化ラインを完成させて業界の注目を浴びる。そして今回のエアハブの開発と、同社は常に新しい価値の創造に取り組んできた。ハブ専業メーカーとしては国内唯一、貴重な存在だ。
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【世界初のエアハブ誕生!】
 今や「浪速のエジソン」と呼ばれる中野さんが、この開発に取り組み始めたのは01年12月のこと。「パンクに悩まされる」というユーザーの不満を耳にしたのが発端だった。そもそも、パンクの原因の70%以上は空気圧の問題。その適正値は「3」だが、使われている実態は2気圧以下がほとんど。こうなるとチューブがリム(車輪の枠)に強く当たって圧迫されたり、タイヤとチューブの摩擦によってパンクしやすくなる。ゴムタイヤは特性上、ほっておけば空気は抜けていくし、かといってマメな空気入れも面倒なもの。ならば、ハブ内にポンプを内蔵することで常に空気を補充することができないか、中野さんはそう考えた。
 手づくりの試作品を携えて、ブリヂストンに持ち込んだのが約半年後。「訳のわからんもん、持ってきたなぁ」との反応に、「だまされたと思って……」の応酬。試すと、実際、画期的であった。その後は、走行耐久性、雨対策などの厳しいテストを繰り返し、その都度改良を重ねてきた。途中、あきらめざるを得ないような挫折感も味わったが、中野さんは決してあきらめなかった。前後車輪のハブ内に、独自のカムによる回転運動で動作するエアポンプを内蔵するのに成功するまで、さらに1年。テスト販売を経て量産に至るまで、2年超の道のりだった。中野さんの執念が、世界初の、メンテナンスフリーの自転車を実現したのである。
【機械は我が子のようなもの】
 後継ぎの修業として、子どもの頃からこの工場に入っていた中野さんは、機械、道具類の改造・工夫を大得意とする。業界に先んじてハブ製造のFA化を推進し、無人化ラインも完成させた。同社の工作機械や設備は中野さんオリジナルのものが多く、いわば我が子のような存在だ。毎朝、誰よりも早く6時30分に出社し、工場内の機械すべてをチェックして回るのが日課。どんな些細な不調も見逃さない“職人魂”が光る。
【疑問を持つことが発想の原点】
 工場の中には、次なる開発を目指して試作品を繰り返し作っては、検討を重ねるコーナーがある。の作業工場だ。日中は来客対応や販売戦略の立案、製品設計などに追われるため、中野さんは仕事を終えてから、開発担当の社員とゆっくり話をし、自由にアイデアを出し合う。「何でや?と、あらゆることに疑問を持つこと」が、発想の原点になる。常に、アイデアや課題が頭から離れない。ふっと妙案が浮かぶのは、夜、自宅で寝床に就く時が多い。だから、枕元にはいつもノートを置いておくという。
【絶対の付加価値で勝負する】
 自転車部品製造のピークは90年前後で、自転車が年間に800万台近く生産されていた時代だ。しかしそれ以降は減少の一途で、昨今はすっかり輸入ものが主流になっている。この業界も例外ではなく、中国との熾烈なコスト競争で、かつては10社あった自転車用ハブの専業メーカーは消えていき、現在残っているのは中野鉄工所だけ。勝てない価格競争を前に中野さんが決意したのは「誰にもつくれない、絶対的に付加価値のある製品を開発すること」。だからこそ“奇跡のハブ”が誕生したわけだが、これは、生き残りを懸けた中野さんの戦いなのである。
【この道一筋!】
 ずっと、新しいことへの挑戦の連続だった。鋳造ハブを過去のものにしたユニットハブの開発、大きな投資をしてのFA化による省人化、そして今回のエアハブの開発。そのたび生みの苦しみは伴うが、中野さんにとって、それは苦やストレスにはならない。この道一筋50年近く、厚く培われてきたものづくりの精神と技術力があるからだ。ここで、破顔しての一言。「自分にしかできない開発ができた時の喜びはねぇ、誰にもわからんほどの大きさですよ」。
【注目される今後の展開】
 エアハブはすでに車椅子にも応用され、05年4月に第1号が完成している。タイヤの空気圧が下がると、ブレーキの効きが悪くなって転倒事故につながるが、常に安定した空気圧を保ち、操作を軽くしたことで、車椅子の安全性に大きく貢献した。現在はさらに、坂道もラクに走れる変速機を内蔵した「内装三段ハブ」、夜間の安全走行を実現する発電機能付きの「ダイナモハブ」など、開発が進んでいる。この小さなハブの中に、どんどん新機能を埋め込んでいく考えだ。従来の“自転車観”は大きく変わっていくに違いない。
手前のセットが新型ハブ。奥にある“棒状”のものが従来品。こんなに様変わりした
手前のセットが新型ハブ。奥にある“棒状”のものが従来品。
こんなに様変わりした
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